たくさんの人に迷惑をかけている。
自分が自分とうまく付き合えないせいで。
こどものころ、自分が良かれと思ってしたことをすごく叱られたことがある。
そこから自分の判断を信じられなくなった。
自分の気持ちを信じられなくなった。
自分の判断は”間違っているのでは”という思いが頭から離れなくなった。
「こうしたい」「これをやりたい」
「でもそれはだめなことなのかも」
「まちがっているのかも」
それが自己肯定感の低さの原因かもしれない。
いまだに自分の判断を信用できない。
何かを買うことや、カフェで休憩をとること、お昼を外で食べること、店に入ること、そんなひとつひとつの行動が「おこられるのでは」「間違っていることなのでは」
と思ってしまう。
そして諦める。やっぱりやめよう。カフェで休憩するのをやめよう。
必要なもの以外買うのはやめよう。
外で昼食をとるのはやめよう。店に入るのをやめよう。
だって怖い。怖すぎる。
そしていつしか、自分の存在ですら、迷惑なのでは、いなくなったほうがいいのでは、という考えが首をもたげはじめる。
不安で、恐怖で、罪悪感で、胸がずどんと重くなる。
ズキズキと心が痛くなる。
涙が出そうになる。
抑うつがよくなって、躁になりかけたとき、
あほみたいにお金を使いまくった。
考えるのをやめた。欲しい、買っちゃえー!怒られるかも?知るかー!
それはそれで楽しかった。充足感があった。
不安やストレスのたびにぽちぽち買って、ちりつもって「多すぎる額」になってしまった。
そして結局「多すぎる額」を短期間に使い込み、
夫と話し合って限度を超えたそれは良くないことで、改めるべきと反省し、
また罪悪感と付き合うことになった。
(夫にいつか全額返すと約束した )
まだ自己肯定感は低いままだ。
抑うつは回復してきているけれど、簡単なことでぽっきりいきそうだ。
木に例えると、根がひょろひょろで幹も細い、枝も葉もしょぼくれて花は咲いてない。幹は傷だらけ。そんな姿の自己肯定感。
どうしたら根を増やし幹を太くし、枝葉が元気で花の咲く木になれるのだろう?
やっぱり自己信頼は必要だろうな。